展覧会について記事を書くというのは想定していなかったのだけど、今回の展示を観ていたら、書き残しておきたいことがあったので。
大宮エリーというと、映画
『海でのはなし』のイメージしかなかったので、今回の展示には驚かされっぱなしだった。
1から順番に(たしか39まで)、壁に書かれていたり映像として映し出されたり、様々な形で表現される詩のような散文を読んでいくという構成で、「生きていく」ということに対して限界までシリアスに誠実に向かい合うことで紡ぎ出された言葉たちがそこにある。
具体的にこの言葉が良かったとか、そういうことまで細かに記憶しているわけではないし、そもそもここに書いてはダメだと思うけれど、そもそも一点が心に残るというようなものではなくて、全体的な雰囲気というか、態度、考え方みたいなものが心地よくて、これがたとえば「死にたい」と思っている誰かの精神的な支え、あるいは救いになることもあるのではないか、という気になった。
大宮エリーさんはもともとは会社員で、そこから独立して今の脚本家とか物書き的な仕事をするようになった人だけど、そういう「言葉」を扱う人の展示として希望が持てた。
『ミッドナイト・イン・パリ』の記事で、「書く」ことの表現行為としての不自由さというか、「本当に響いていけるのか?」という点について触れたけど、この展示は物書き=ライターの新しい表現の可能性を切り開いているように思う。
この展示を観た足でそのまま、映画
『きいろいゾウ』を観たのだけど、その中の登場人物が、ある小説が印字された紙、そしてその字そのものを手で撫でるシーンがあって、あらためて「活字」とその効用、意義、可能性についてのことが脳裏にぼんやり浮かんだ。今回の展示は「活字」がかなりの強度を持って何かを発していて、このブログにそのことを書いておきたいと思った。
「大宮エリー『生きているということ』展」
会場:PARCO MUSEUM パルコミュージアム 渋谷パルコ パート1 / 3F
期間:2013/01/25 (金) -2013/02/18 (月)
http://www.parco-art.com/web/museum/exhibition.php?id=531